ギャンブル中毒回顧録 第5話
1.送金確約
夜になり、やっと親と連絡が取れた。
今日中に20万円ほど送るから安心しなさいという言葉をもらった。
電話口で心配してくれる母親の言葉に涙が出た。
女に騙されたということは言わなかった。強盗とか言うと心配すると思ったが、自分の不注意ということにすると、めちゃくちゃ怒られる気がしたからスリにあったということにした。
手持ちの5万円と送金される20万円で、25万円。
これだけあれば、まだ旅は続けられる。ただ、もう私は異国の土地で疲れ果てていたし、借金してまで旅を続ける気はしなかった。
とにかく安心すると、お腹が空いてくる。
私は、やっと落ち着いた気持ちで初めてのトロントの夜を楽しもうという気になっていた。
プラプラと街を歩き、自分が何を食べたいのだろうか?などと考えていた。
ふと見かけたイタリアンのお店。イタリアンはもういい。。。
すると日本語が目に飛び込んできた。日本食。
いまは、日本食が恋しい。
私は、日本食レストランで久々のカツ丼を注文した。
朝、昼、夜勤。アルバイトをして必死で貯めた100万円だった。アラスカからオーロラを見るのがクライマックスだった。
それがこんな形で旅を諦めなければいけないなんて。
自分のバカさ加減を恨みながら、カツ丼を口に運んでいると、ふと隣の日本人グループの会話が耳に入ってきた。
「昨日はカジノのスロットで1,000$勝ったから俺がおごってやるよ!何でも食べていいぞー」
カジノ。。。トロントにカジノがあるのか。
中学生、高校生のときはよくゲーセンのメダルゲームで遊んだ。ブラックジャック、ポーカー、スロット。とりあえず、ほぼほぼのゲームで戦える気がする。
なによりこっからお金を増やさないと私の旅はここで終わってしまうんだ。
カツ丼を食べ終わる頃には、カジノでお金を少しでも取り戻そうと決めていた。
2.旅のきっかけは麻雀
最初に覚えたギャンブルは麻雀だった。中学生の頃に麻雀を覚えてからは、毎日のように中学・高校の友達と麻雀をやった。
高校生のお小遣い程度で遊んでいたので、点1や点3、一晩で動く金は1万円もいかなかった。
大学に入っても、仲間内でよく麻雀をやっていた。次第に遊ぶレートは高くなり点10の麻雀で遊ぶようになる。
実際私は、麻雀はそれなりに強く、仲間内の麻雀では月の収支で負けることがなかった。
自信をつけた私は、フリー雀荘にも顔を出すようになる。
フリー雀荘はさすがに腕に覚えのあるプレイヤーが多くおり、ゲーム代も高いので月の収支で負けることもあったが、私は麻雀の魅力にどんどんのめりこんだ。
麻雀仲間に誘われて、パチンコやスロットにも手を出した。
麻雀のメンツが集まるまで、パチンコをしていたら、確変に突入して、逆にみんなを待たせるなんてことはザラにあった。
旅をはじめたのもギャンブルがきっかけだ。
仲間内の麻雀は毎月収支はプラスだったとはいえ、多い月でせいぜい5万円ほどだった。しかしある月、スロットも麻雀本当に調子が良くて、トータル収支が30万円を超えたことがあった。
このお金でなにかしよう!
そう考えていたとき、大学の授業で万里の長城が出てきた。
万里の長城。世界史にも出てきた、中国史を代表する史跡で、歴史において重大な役割を果たしてきた人類が誇る叡智の一つだ。
そうだ、北京行こう!
こうして私は一人旅に出た。
オフシーズンということもあったが、航空券の安さに驚いた。世界はこんなに近いのかと。
北京は世界遺産の宝庫であった。紫禁城、頤和園、明の十三陵。
そして旅のクライマックスである万里の長城の壮大さは筆舌に尽くしがたいものがあった。
それ以来、私はすっかり世界に魅せられた。麻雀をやめて、時間が許す限りアルバイトでお金を貯め、一人旅にのめりこんでいったのだった。